こんにちは!攻略班ミカヅキです。
いよいよ本格的にワードプレスに引っ越ししてきて心機一転頑張って行きますので
改めてよろしくお願いいたします!
最初のテーマはブログの根幹に関わる課金のことにでもしよう思ったのですが、書きたいことをとりあえず書く事が一番無理なく長続きしていけるかと思ったのでまずは今日頭にふっと浮かんだ読書をテーマにお話させて頂きたいと思います!それでは早速本題入っていきましょう!
分りやすさを唱えども
読書をするといっても目的は様々です。
学生さんであれば参考書として教科書の内容だけではわかりにくい箇所の補填に使ったり、
大学生や社会人であれば就活の為の筆記対策であったり、資格試験の勉強のために行うこともあるでしょう。
あとは、ちまたに新しいものが次々の出版される自己啓発本と言ったところでしょうか。
使用目的はそれぞれ違いはありますが、どれも分りやすさが求められているという一点においては共通するところであります。
よく学校では小・中・高を通して読書の大切を説かない先生はおりません。
私は教育委員会に前年まで所属し、地元の学校をくまなく回っていましたがどこの学校の図書室は特別な場所で、本は常に新しいものが並び、比較的新しく建設された学校では司書さんといった人材など優れた機能を充実させることが多いです。
つまり、それだけ義務教育から読書というものは重視されているということでもあります。
それだけ大切!重要!!と位置づけられている読書
世の成功者達も読書の大切さを声をそろえて訴えます。
この意見に反対意見を唱える気はもちろんありません。
特に難しい内容を分りやすく説いた参考書に出会ったときなどは私も感動すら覚えました。
ただ、参考書であればテストや資格の勉強に役に立つという明確な効果というものが目に見えていますが、それ以外の本、特にビジネス書などにはどのような費用対効果があるのでしょうか。
ビジネス書なんだからもちろん仕事や生き方に関し役に立つ知恵が詰まっている
きっとこれらの本を読めば仕事ができる人間なるのでは無いか?
実際のこれらのビジネス書は資格の参考書などと比較すれば書いてあることの考え方も
いわゆるお勉強ではなく日常生活における考え方なので比較的分りやすいものが多いように感じます。
難しい知識を分りやすく伝えてくれる本は貴重!
試験や資格といった目的が単純で分りやすい物については読書は強力に効果を発揮するが…
500冊読破してみた結果
はい!というわけで、大学4年生の頃の私が実際にビジネス書500冊読んでその効果の程を検証してみたことがあるのでそのお話を記念すべき第一話でやっていきたいと思います笑
バカじゃんww!!と思われるかもしれませんが、あの頃の私は就活が終わって、卒論もほぼ完成し
後は大学生最後のモラトリアムを楽しむだけという状態であったため、少しでも仕事でお役に立てる人間になりたい一心でこの読書計画断行しました笑
実際に読書自体そんなに苦にするタイプではなかったので、近場のブックオフから大量のビジネス書を買ってきてとにかく1日中メモ取りながら読み進めていくというスタイルで勢いよく読み進めていきました。
世界一売れているベストセラーなんだから、聖書ももちろん読んでおかないとね♪
なんて考えて勢いで聖書なんかも全ページ読破しましたw
なぜ聖書なんぞ所持していたのかというと、私が通っていた大学がクリスチャン系だったため、入学と同時に一人一冊聖書が配布されておりました。
本棚の片隅で大学生活中ずっーっと眠っていたのですが4年生の夏になってやっと日の目を見る日が来て感慨深かったのを覚えております。
焼いた羊を生け贄に捧げすぎやんwなんて俗な感想はおいておきまして、
結論から言ってしまえば公務員として働き始めるに当たって本で読んだ知識を存分に生かし切ることはできませんでした…!!
決して本で学んだ知識が役に立たないと言うわけではありません。
むしろ私の読み方に問題があったように思えます。
読書をするということに対し、目的を持って本から知識を吸収するのではなく
ただ単に本を読むこと。読んだ本の数を競う事だけに集中してしまったことが問題だったと今振り返れば思います。
500冊読めば何かが変わる!!
こんな思考法ですね笑(スピリチュアルかな?笑)
確かに数をこなすこと自体は悪い事ではありません。
量と質の話は永遠に終わらない議論の一つですが、質の高い理解を得るためにはそこにたどり着くまでの経験とかコツをつかむのにどうしても数をこなす必要があります。
ただし、読書をほぼ脳死でひたすら読む事だけを目的にして行っても得られるモノは当然大してありません。
質の高い理解を得るためにはどうしても、数をこなしながらも自分はこの本から何を得たいのかを明確に意識して読まなければなりません。
この時の私はとにかく有り余る時間を大好きな読書にめいいっぱい割り振ることが出来る事が嬉しくて、この意識が完全に目の前から消えていました。
新しい知識との出会いは確かに楽しいものです。
知らないことを教えてもらえることは本当に素晴らしい事です。
ですが、ただひたすらに読書を楽しみ、知識コレクターになることと、得た知識を何に役立てたいのかしっかりと前もって計画立てた人では得られた知識の活用力に大きな差が生まれてくるのです。
例えばサッカーが上手くなりたいと思っているのにもかかわらず、野球の練習をしていてもまったくサッカーが上達しないのと同じように
仕事で活用するために読書をするといっても、仕事のどの部分に役立てたいのか?相手に物事を正確に伝える力なのか?後で読み返しても分りやすいメモを取る技術が欲しいのか?それとも先輩職員と円滑に仕事をやっていくための人間関係について学びたいのか?
この学びたい部分、自分が知識として得て実践で活用したい事がなんなのかがはっきりしていなければ、せっかくの読書もあー面白い本だった♪とただの娯楽に終わってしまうのです。
自身が何を学び、それを何に役立てたいのかを具体的に決めた上での読書は学習
ただ単に新しい知識を知るためだけの読書は娯楽に近く、たとえ500冊読んでも実践に向かない
読書が物事を解決する× 物事を解決するために読書する○
記念すべきワードプレス第一話の記事はいかがでしたでしょうか?
ブックオフや古本屋に行くと山のように並べられている本…
中には掘り出し物のとんでもない知恵が眠っているかもしれない…!
私は小さな頃から本屋さんが好きでそんなことを考えていたので一度古本の一気読みというものをやってみたいという思いと
そこから得られた知識がどれほど社会に影響力を与える事ができるのかについて興味があったので、
大学生最後の夏を読書に費やしました。
結果は上記でお話した散々なもので、当時の私は騙された-!!読書なんてこんなものいくらやったところで意味なんて無い-!!と本気でがっかりしたものですが、冷静になって考えて見れば当然の結果なんですよね笑
当時の私は自分が何が欲しいのかすら分らないままに倉庫に入って、がさごそと有りもしないような宝物を探していただけ。
読書をするから物事がまるで魔法のように旨く運んでいくのではなく
物事を旨く運ぶために必要なものをあらかじめ読書から学んでいたから物事は旨く運ぶのです。
つまりは、すべて事前準備!読書もそのための一貫に過ぎません。
ガチャ禁もしてないクセして無課金でガチャを引こうなんて準備不足も甚だしいですよね?
必要なものはあらかじめ自分で分っていて、あらかじめ用意しておいてこそ真価を発揮します。
公務員試験や学校のテストのようにあらかじめ用意すべきものが明確ならば、それをあらかじめ覚えておけば良いので準備は用意です。
しかし、社会に出るに当たって必要なものというのはテスト範囲のようにわざわざ目に見える形で見えるものばかりではなく
何が必要になるのかは先生が張り出してくれるのではなく、自分の頭で考えなければなりません。
この後同じようなことをあと2~3回くらい繰り返すようになるのですが、私はこのアホみたいな読書量からこの現実を学んだのでした笑
それでは今回はこの辺で失礼いたします。この記事が良いなあと思ってくださった方は、イイネやフォローをしてくださると嬉しいです!それではまた次回の記事でお会いしましょう。またね!!(*^^)/
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