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身を滅ぼす?!課金の破壊力について徹底解説!

課金

こんにちは!攻略班ミカヅキです!

今回はソシャゲの課金の恐ろしさについて私の実体験も含めて解説していきます。

通常の買い物と課金は同じくお金を払って品物、課金の場合はゲームのデータを買うということについてはまったく同じ行為であるにも関わらずなぜ課金は悪いことのような扱いで良い印象を相手に与えないのでしょうか。

こちらについて今まで散々廃課金してきた私がしっかりと解説していきたいと思いますので、

今までは無課金で遊んできたけどそろそろ物足りなくなって課金を考えている方や

もう既に課金をしてしまっているけれども、今後のあり方を見つめ直したいという方はぜひ参考にして頂ければと思います。

それでは早速本題に入っていきましょう!よろしくお願いいたします。

こちらが本日のお品書きです。

課金と買い物の共通項

なぜ人がゲームに課金をするのかと言えば、ひとえにゲームを楽しむために課金を行います。

たかがゲームのデータ、何の形にも足しにもならないモノにお金を払うなんてありえない!

という方もいるかもしれませんが、通常の買い物を例に考えて見てください。

例えば私は最近2ヶ月前に購入した折りたたみ式のワイヤレスキーボードが故障してしまいました。

とてもコンパクトで持ち運びに便利でスマホでの文字入力をスムーズにするために購入したのですが、お気に入りでよく使用していた為かあっという間に消耗していくつかのキーを打鍵しても文字が入力されない状態となってしまいました。

普段生活の中で私にとってはSNSとブログの更新は楽しみの一つ

SNSで誰かとおしゃべりをするのが好きですし、自分の考えを文字に起こす力を身につける上でもブログの執筆は私の生活になくてはならないものとなっています。

つまり、私にとってパソコン・スマホに文字を入力するという価値というのは人生を楽しむ上で大切なものとなってきます。

なので、今回私はロジクールの16,000円程の価格の高価なキーボードを購入しました。

これもひとえに生活を楽しむために課金したわけです。

今まさにそのキーボードを使ってブログを書いているのですが、いちいちノートパソコンを台から下ろしてキーボード入力をする必要がなくなり、ボタン一つでスマホへの切り替えも間単に行えるため、本当に買って良かったと満足しております。

この場合は私が生活をしていく中で無くてはならないと思う価値について課金をしたわけです。

では次にゲームの場合を考えて行きましょう。

昨今のソーシャルゲームは本当によく出来ていて、ストーリーやシステムなど無料で遊べるのが不思議な程のクオリティを誇っています。

ゲームをプレイしているとストーリーやその内容に引き込まれていき、やがてそのゲームが生活の一部へと変わって行くのです。

普段からゲームなどをプレイする事が無い方からすれば不思議な話をしているかもしれませんが、

ゲームの制作陣からすればいかにプレイヤーを楽しませるかを考えて作っているため、最初はシステムや管理画面のインターフェースに慣れずに戸惑うことがあるかもしれませんが、毎日ゲームに足繁く通っているうちにだんだんと慣れてきてまるで自分の身体の一部のように操作も違和感なく行う事ができるようになってきます。※

※私もまだまだブログ駆け出しでこのワードプレスの管理画面になれていませんが、なんとか慣れるようがんばりたいです笑

ゲームが完全に生活の一部になると、生活をより楽しむためにお金を使いたくなるのが人間という生き物…

無課金ではできないことでも、課金をすればもっと強いキャラをや武器・装備が手に入ってもっとゲームを楽しむことができる!!

とこのような考えに行き着くというわけです。

…改めて文字面に起こすととっても意味の無いことにお金を使っているのだなぁ…と我ながら驚愕してしまいそうになりますが笑

この辺は文字ではなく、実際にゲームをしている人にしか分らない部分かもしれません。

好きなキャラクター、推しにもっともっと強くなって欲しい。

推しと一緒にもっとゲームを楽しみたい…!

好きなもの、自分の熱中できるものにお金を使いたい…

ゲームにお金を使うと一言で書くとくっだらない!なんて一言であしらわれてしまいそうな程軽い言葉になってしまいそうですが、ゲームに課金する人が考えていることも、現実で買い物をする人も考えている本質はまったく同じなんです。

ただ自分の生活をもっと楽しくするためにお金を使う

課金も買い物もこの一点においては同じと言って良いでしょう。

自分の生活をより楽しくするために買い物をする!

課金も同じ!ゲームが自分の生活の一部になり、課金をするようになる

課金にまつわるイメージ

買い物でモノを購入するのも、ゲームに課金するのも意図するところは生活を楽しむためであり、本質はまったく同じであるにも関わらず、なぜ課金には悪いイメージがついて回るのでしょうか?

買い物でワイヤレスキーボードを購入する場合はキーボードというモノが手に入るけれども、ゲームではなにもモノが手に入らないからでしょうか?

実際にモノが手元に残らないという点においては旅行や外食なども一緒です。

旅行は経験や宿泊などのサービスの価値にお金を支払い、外食は料理を食べ終わってしまえばあとは何も残りません。

幸福感が残ると言われれば、ゲームに課金をしてデータを手に入れた場合も手に入れたデータを使って楽しくゲームを進める事ができるため幸福感は得られます。

そもそも不幸になるためにお金を払う人なんていませんから、お金を払う以上今よりもほんの少しでも生活を楽しんだり、快適さや便利さを求めて誰しもがお金を払うわけです。

つまり、お金を払った結果、モノが残る・残らないはお金の使い方の有意義・無意義の基準には当てはまるものではないということですね。

素敵な場所に旅行に行くことも、普段は行けないような高級レストランで食事をする事も、新しい経験や気分転換になったり、美味しい料理を食べることによって幸せな気持ちになったりすることができるわけで

モノは手元に残りませんが、得られる幸福感から決して無意味と言う人は誰もいないでしょう。

ではなぜ、課金をすること・ゲームというコンテンツにお金を使うことに対して良いイメージがないのでしょうか。

理由は二つあると私は考えております。

一つ目は世間体ですね。

ゲームそのものに対するイメージがあまりよろしいものではありません。

ゲームをするということはその分の時間を取られるということですから、ゲームに時間を使っている分日常生活(ゲーム好きの間ではリアルなんて言い方をしたりします)に使う時間は当然短くなります。

私の従兄弟もゲームが大好きで休日はゲーム三昧の日々を送っていたのですが

お嫁さんに愛想を尽かされてしまったようで、僅か9ヶ月で離婚に至ってしまいました…泣

このようにリアルの時間を大量に消費してしまうゲームはその拘束時間の長さ故に現実の生活に多大なる影響と支障を及ぼしてしまう危険性といつも隣り合わせです。

自分の意志でしっかりとゲーム時間を制限して支障が出ないように上手に立ち回っている方がほとんどでしょうが

世間では一人でも悪い見本がいるとそれがスタンダードであると誤認してしまう傾向があるのでゲーム自体の世間体も悪くなってしまっているのです。

学校で問題を起こした生徒が一人でもいればその学校の生徒全員が白い目で見られてしまうのと同じように世間は一人の問題を一人の問題としてはみなしてはくれません

我々もゲームに限らず自分の行動が他の誰かの迷惑に繋がるという自覚をしっかりと持って日々生活を心がけるように気をつけましょう!

お金を払って手に入れるのはモノだけではない

課金というよりもゲームそのものの世間体は決して良くない

一人の起こした問題を全体の問題へと世間は置き換える

シャブ漬け戦略そのもの!?ガチャの沼

最後にガチャの恐ろしさについて触れて終わりにしていきたいと思います。

課金にまつわる悪いイメージは世間体もさることながら

一番大きいのは使ってしまう金額の大きさにあります。

通常買い物をする際には1万円とか3万円といったものを買う際に

私達は必ず躊躇しますよね?

私は自分で事業を持っているし1万や3万円なんてお金とは思わない!!!!

なんて事業家ばかりではないのは年収の中央値を見れば一目瞭然です。

ほとんどの人は躊躇すると思います。もちろんもれなく私も安月給ですので躊躇します笑

しかし、ソシャゲに課金するのにおいてこの1万円や3万円って全然大きな金額では無くなるんです。

これはソシャゲに課金をしたことがある人しか分らない価値感だと思うのですが、

課金をしてでも手に入れたいという思えるようなキャラのレアリティはほとんどの場合は最高ランクの

星5と呼ばれるものになります。

では星5が出る確率はどのくらいかといいますと私がやってるFGOでは0.8%と凄まじい低確率を誇っております。

そして当然ながら1万円ごときの課金では引き当てることなんてほとんどできないんです。

1万円を使っても欲しいものが手に入らない…

この時点でソシャゲにおいて1万円という本来であればとっても価値あるもの、いっぱいモノが買えるであろう貴重なお金の価値は相対的に低下してしまいます。

その結果1万円に対する価値感に歪みが生じてしまい、1万円札を投じることに躊躇がなくなるという奇妙な感覚が身につきます。

そこに欲しいものが低確率で中々手に入らないということも相まって出た時には一種の興奮状態が伴います。

つまり、ガチャというものは1万円という大金をつぎ込んでも欲しいものが出る保証がないのと同時に1万円すらかけずに無料でも欲しいものが手に入るというまるで悪魔のような、天使のような優しくも厳しい二面性が存在します。

ガチャはギャンブル性が極めて高く、強い依存性があるのです。

加えて、1万円をかけても欲しいモノが出ない場合そこでガチャを引くのを止めてしまえば、欲しいモノは手に入らずただ1万円を損しただけという残酷な結果だけが残ります。

そんな結果を良しとできるような方は中々いませんから、基本的にガチャは欲しいものが出るまで課金を止めることができません。

すると月額で数十万円を超えるような課金をするかつての私のような廃課金が簡単に誕生することになってしまうのです。

つい最近、牛丼の吉野屋で顧客をシャブ漬けにするかのように牛丼に依存させるといった趣旨の発言を経営陣の役員がしたことで問題になりましたが、ソシャゲのガチャは牛丼なんかとは単価も比較にならない上に中毒性も数段上です。

売り上げを簡単に上げるためにはリピーターを増やすのが最も効果的です。

リピーターを増やす為にはリピーターをその商品が無ければ生きていけないように中毒症状してしてしまうのは言い方が大変よろしくないですが最適解とも言って良いでしょう。

そしてガチャと言うものには今まで解説して来たとおりお金の価値感を狂わせ、低確率の当たりを引き当てるまで決して降りることができないという恐ろしい蟻地獄のような仕組みが出来ていることを必ず念頭に置く必要があるでしょう。

もし仮に課金をする場合は、必ず一万円の価値を見失わないように最深の注意を払った上で無課金石などでしっかりと安全マージンを確保した上で挑まれることを個人的に強くオススメいたします。

ガチャは一万円の価値をねじ曲げる

ガチャは一度引き出したら撤退できない底なし沼構造

ギャンブル性が強く、当たった時の喜びの大きさから中毒性が高い

今回は課金が身を滅ぼす仕組みと課金に良いイメージがない理由とその危険性について解説させて頂きました。

実際に私の従兄弟のように生活に支障を来してしまったような方から、母親がソシャゲに中毒になってしまって子どもともども悲惨な末路を送ってしまったというとても悲しい出来事まで私の身近で起きてしまったのを目の当たりにしてきております。

このようにギャンブル性とそれに伴う中毒性によってお金を失ってしまうという危険が多々あるのが課金の世界です。

もちろん度が過ぎればなんでも毒になってしまいますが、その中でも課金についてはよりいっそう注意が必要とよって良いでしょう。

趣味程度でたしなむ程度なら本当に良いストーリーや内容に出会えますから、これからも一緒に本当に楽しめるソシャゲとの付き合い方について考えていきましょう!

それではまた次回の記事でお会いしましょう!ここまで読んで頂きありがとうございました。

失礼いたします。

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